委員会活動など
生徒会本部 | 生徒総会などを主催。 |
評議会議員 | 生徒会の運営補助などをおこなう |
学級委員会 | 各学級の出来事などを報告して改善を目的とする |
環境委員会 | 校内の美化活動などを積極的におこなう |
体育委員会 | 体育祭や体育の時間に準備をおこなう |
給食委員会 | 給食配膳・片付けをおこなう |
情報委員会 | 昼食時や下校の放送をおこなう |
保健委員会 | 衛生管理を中心に活動する。水道整備などもおこなう |
図書委員会 | 図書の貸し出しを管理。本棚整理などをおこなう |
福祉委員会 | 募金活動などのボランティアをおこなう |
特別委員会
学年運営委員会 | 学年全体の問題点をあげて、改善を目的とする委員会。委員には各委員会の委員長と評議会の生徒がなる また、学年レクリエーションも企画・運営をしている |
文化祭実行委員会 | 文化祭の準備などをおこなう委員会。企画などを考案 |
選挙管理委員会 | 生徒会役員選挙の際に、投票を取り仕切る |
ひまわりの里づくり
滑川中学校では、昭和63年から「ひまわりの里づくり」という活動を行っています。
「ひまわりの里づくり」とは、生徒が自宅近所の家庭をまわり、ひまわりの種を配り、
半年後に収穫した種を回収するというものです。回収された種は全国に配られ、
大変意義ある活動として新聞に取り上げられたこともあります。
ポプラ植樹 少年よ大志を抱け
2008年3月14日に、チェンバロ製作家の横田誠三さんの縁で、
卒業生や滑川町町長さんなどによってポプラの苗木5本を体育館前に植樹しました。
このことは、3月27日「読売新聞」の地域版で記事となったほか、
インターネットニュースサイト「WEB埼玉」でも取り上げられました。
また、未確認ですが、テレビ埼玉でも取り上げられたという情報もあります。
チェンバロ製作家 横田誠三さんへのポプラの植樹に関するインタビュー
体育館前に植えられた5本のポプラの苗木。植樹をしてくださった、チェンバロ製作家の横田誠三さんに、お忙しい中いくつかの質問にお答えいただきました。
Q.ポプラの樹を植えようと考えたきっかけとは?
A.「Boys, be, ambitious!」 クラーク博士の言葉で有名な札幌農学校=現北海道大学の美しいポプラ並木が2004年9月の台風で多数倒されました。それを悲しんだ多くの人からの寄付で並木修復の作業がすすめられる一方、倒れたポプラで記念のチェンバロを作ろうではないかという話が持ち上がり、私が製作の依頼を受けました。2006年9月、楽器として蘇ったポプラは札幌に帰りましたが、その時にポプラの植樹を思い立ちました。
Q.なぜ滑川中学校(滑川町)に植えようと思いましたか?
A.私は里山に包まれたこの町の穏やかなたたずまいが大好きで、22年前にこの滑川町に引っ越してきてチェンバロ工房を作り、家内はピアノ教室を開いています。私達をあたたかく受け入れてくれた滑川の人々と自然にとても感謝しています。130年前にアメリカからやってきた「大志のポプラ」の小さな苗はそのお礼の気持ちです。
Q.滑川中学校の生徒たちへ一言お願いいたします。
A.人に自分の自慢ばかりするのは厭味(いやみ)なものですが、胸のうちに「誇り」を持つことは大切です。「滑川中学校の大志のポプラ」はきっとその拠り所になると思います。ポプラを見た時には「Boys and girls, be ambitious!」ということばを思い出して下さい。
ウィリアム・スミス・クラーク博士は1826年アメリカ生まれ。50才の時に来日して札幌農学校の初代教頭としてその基礎を作りました。敬虔なキリスト教徒でもあった博士の教育者としての大きな心は、明治のはじめ封建時代を終え近代国家を作りつつあった日本の若者達に、新しいこと果敢に挑んでゆくパイオニア精神、国際的な広い視野の大切さ、また「自由、平等、博愛、自主自律」の精神を教えました。どれも今日ではあたりまえのようですが、かえって忘れられ失われがちなものです。そしてクラーク博士が日本を去る時に弟子たちに残したことばが有名な「少年よ大志を抱け」です。
横田誠三さん、本当にありがとうございました。
滑川町立滑川中学校交流サイト運営組織一同
チェンバロ製作家 横田誠三さんのホームページ 「横田ハープシコード工房」